担当講師名は中尾尚志先生ではなく、知らない名前・・・あ~凄く楽しみにしていたのにと、がっくりと落ち込んだ気分で僕は学校のトレーニングルームに向かった。既に一人トレーニングルームのベンチに座る後姿、『なんや、あれ?』『あれ先生ちゃうんか?』と授業を受けるために集まった生徒達が囁く。トレーナーを着ていてもはっきりわかるほど、ビルドアップされた上半身は僕達を震え上がらせた。『めっちゃしごかれるんちゃうか?』誰かがそんなふうに呟いた。トレーニングルームに入るのを躊躇う皆を尻目に元気良く『こんにちは、失礼します!』と入った僕。振り返った先生は巨大な身体をこちらにむけ、優しい笑顔で『こんにちは』と返してくれた。続いて入ってきた生徒達が揃ったのを見届け、『今日からウエイト実技の担当になった大谷浩司です、よろしくお願いします』と自己紹介を済ませ、『じゃあ、さっそく授業を始めようか』と言ったかと思うとトレーナーを先生は脱いだのだ、Tシャツの袖からはみ出したパンパンの腕は、全員の目を釘付けにした。この先生、後からわかる事になるのだが、ミスター日本ファイナリストの大谷選手だったのだ。そんな経歴なんか知らなくとも、当時日本でナンバーワンとも言われた上腕は、さっきまでがっくり肩を落としていた事を忘れてしまうぐらいのインパクトだった。トレーニング開始から1ヶ月ほどで、幸運にも日本トップクラスの選手の指導を受ける機会に恵まれた。続く・・・・

スポーツクラブでのアルバイトが夜の10時まで、トレーニングパートナーの伊藤さんの仕事が終わるのが10時半だったから、30分ほど休憩がてら軽く間食をして、営業終了後の貸切状態のジムでトレーニングが始まった。僕達以外誰もいないので、当然待ち時間はゼロ、好き放題トレーニングができるわけ、伊藤さんの作成したメニュー通りにトレーニングをこなしてゆく、

当時のメニュー一例

胸・肩・上腕三頭筋の日

1ベンチプレス 5セット

2ダンベルベンチプレス 2セット

3インクラインダンベルプレス 2セット

4バーベルショルダープレス 3セット

5ダンベルショルダープレス 2セット

6サイドレイズ 2セット

7フロントレイズ 2セット

8ライイングトライセプスエクステンション 3セット

9フレンチプレス 2セット

10トライセプスプレスダウン 2セット

11ディップス&プッシュアップ(スーパーセット)

全てのセットにフォーストレップ(補助つきレップ)で潰れるまで

短いインターバルにハイボリュームのトレーニングで、身体はクタクタになるが、心肺機能が高かった僕はこのトレーニングについていく事ができた。今思い出してもハードなトレーニング。毎日バイトが終了してからたっぷり1時間半以上のトレーニングをこなす日々が続き、身体も少しづつ変化していったのだが、あまりに体力を消耗するので、伊藤トレーナーにこんな質問を投げかけた。『筋肉をつける為には何セットやれば良いんですか?』伊藤トレーナーは『本当は1セットでできればいいんやけど、人間は限界までなかなか追い込めないんで、セット数を多くやる必用があるんや』と言った。

じゃあ1セットで完全燃焼できるトレーニングをどうやったらできるんだろうか・・・そんなトレーニングは不可能なんだろうか・・・その日から、頭からその考えが離れなくなる、しかし答えを見出せないままハイボリュームの高強度トレーニングが毎日続いた。

そんな日々を1ヶ月ほど過ごし、専門学校がいよいよ始まった、待ちに待ったウエイトトレーニング実技の授業、担当講師の名前を見ると、期待していた中尾尚志先生の名前は無く、大きな失望の中、第一回目の授業を迎える事になったのだ・・・ 続く

無事?高校を卒業した僕は、専門学校入学までの期間に、スポーツクラブでのアルバイトの面接を受けた。当時大阪の豊中市にあった千里セルシーアスレチッククラブS-CUVE(エスキューブ)で、専門学校入学前にトレーナーデビューしてしまった。1週間ぐらいのトレーナー養成指導で、お客様の前に立つことになったのだ。しかし程なく仕事の内容に幻滅する事になった。新人の僕の仕事は雑用が中心で、メンバーさんにもあまり相手にされない。もちろん先輩トレーナーもひよっこ扱い(本当にひよっこなんだけど)。負けん気だけは人一倍の僕は、知識で先輩トレーナー達に追いつこうと必死に本を読み勉強した。しかし、勉強嫌いだった筈の僕が勉強が楽しい事に気づいていく、そうこの勉強は実践(筋トレの成果)に直結した知識を得るためのものでもあったからだ、仕事は夜の10時まであったんだけど、ある日先輩トレーナーの一人、伊藤トレーナーが声をかけてくれた。『筋トレに興味あるんやったら、仕事終わってから一緒にやるか?』実はこの先輩、後にミスター兵庫に出場するほどボディビル好きで、トレーニングパートナーとして僕を選んでくれたのだ。もちろん二つ返事で『はい、お願いします』と答えた僕だが、この時点で恐ろしいトレーニングが待っているとは知る由もなかったのだった・・・続く

その日から、何となく目標が定まらず『なんかないかな~』と毎日呟いていた僕はいなくなり、未来のイメージをリアルに構築する僕が誕生した。ボディビルダーとして結果を残し、将来は自分のジムを持つ。そして自分のジムからナショナルレベルの選手を輩出する。これが当時の僕が夢抱いた目標だった。まだバーベルも部活の補強ぐらいしかやったことが無かったのに、今振り返るとよくもまあこんな目標を立てたもんだ。進路は体育大学進学か、スポーツの専門学校に絞られた。進路指導の先生に『特に目立った成績をクラブで残してないから、体育大学は無理やな』の一言で、専門学校を選択する事に。今みたいにインターネットが普及している時代だったら、きっと違う選択をしたかもしれないが、(テストの成績で体育大学に入学できることを知らなかった)元来勉強嫌いの僕にとっては好都合な言い訳ができた。最後まで大学進学を勧める両親の助言を振り切って、京都にあった「日本ヘルス&スポーツ学院」への進学を決める。どうしてそこの学校に決めたかというと、メイン講師が京都府ボディビル連盟の中尾尚志先生だったからだ。スポーツの専門学校で、講師がボディビルの有名な指導者。僕の期待は膨らむばかりだった・・・続く

職員室に呼ばれた僕は、『しまった、練習をサボって帰ったのがばれたか』とビクビクしながら職員室に入った。先生は自分の席に僕を呼び、一番下の深い引き出しを開けた。びっしり詰まった本の中から一冊を取り出すと、さっとページをめくり僕の方に差し出し、興奮気味だけど満面の笑顔でこう言った。『小川、ボディビルやるんやったら、やっぱりカリフォルニアや。それもここでやらんとあかん』開いたページを覗き込むとそこには「ボディビルの聖地ベニスカリフォルニア」と書かれてあった。『ここにゴールドジムっていうジムがあって、世界中の凄いヤツがここに集まってるんや』何故ボディビル??何故僕にこんな話??格闘技は興味があったけど、ボディビルには興味がなかった・・・・とこの時点では思っていた僕。しかし無意識の世界では、映画コナンザグレートでみたアーノルドの殺陣のシーンがフラッシュバックし、僕のアイドルはアントニオ猪木でもタイガーマスクでもなくなっている事を始めて自覚したのだ。『筋トレには興味はあるけど・・・あんな身体になんかなれる訳ないやん』同時にこんな考えも頭をよぎる。スドウコウゾウ、スギタシゲル、中学生の頃、近所にできたトレーニングジムで見た月刊ボディビルディングに載っていた日本のトップビルダーの写真の記憶、そうだ日本人でもこんな身体になれる・・・無意識の中に隠れていた大きな筋肉を獲得したいという願望が、この日意識の世界でしっかりと僕のものとなった。先生が僕の中に眠っていたボディビルダーの魂を覚醒させてくれたのだ・・・・続く

『あ~なんかないかな』これが当時の僕の口癖、今振り返ると、自分の中から沸き起こるエネルギーを何処に向ければ良いのかと、悩む日々が続いていた。そんな僕が高校生の頃、ボディビルと本格的に出会った。僕は高校2年生の時に中学生の時から続けていたバスケットボール部を辞め、柔道部に入部した。当時顧問の先生の考えるチームの方向性が自分に合わなかったので、子供の頃からプロレスラーに憧れていた僕は、思い切って柔道部に入部。実は中学生の頃からボクシングジムにも通っていたんだけど。その柔道部の顧問の先生がユニークな先生だった、『柔よく剛を制す』ではなく『剛よく柔を制するんや!』がモットーで、柔道の技は入部しても、ちっとも教えてくれない、その代わりに筋トレを毎日みっちりやる。つまり技なんか覚えなくっても、筋肉がついてパワーアップすれば勝てるって理屈。大阪の名門『ワールドジム』に通ってられた先生は、筋トレ、特にベンチプレスを中心にベントローやスクワットを毎日熱く指導してくれた。当然柔道は強くならなかったけど、身体はみるみる変わったなぁ~^^;そんなある日、柔道部の顧問の先生に職員室に呼ばれた。ここから僕のボディビル人生が始まった。  続く・・・

昨日はMR尼崎というボディビルコンテストを観戦してきました。こちらを運営されている森山さんは70歳、なんと昨日のコンテストにも出場し、見事な身体を披露されていました。アンチエイジングという言葉が世間では流行のようですが、これぞアンチエイジングというお手本を見せていただきました。『もう年だから・・・』って言い訳してませんか?『まだまだ若いモンには負けない』っていう森山さんの気力が若さを保つ秘訣だなと思いました。